3年前の今日、77歳で天国に旅立った父。
その年の6月に施設で会った時に、私は今まで育ててくれたお礼を言って抱きしめてあげました。
最後に「お父さんの事を誇りに思ってるよ。」強かった父の目から一筋の涙が流れていました。
母に「親父と会えるのは今日が最後だと思って抱きしめて来た」と言ったら「いーや!そんな事は無い!あんなに元気なんだから!」
それから半年後のこの日、夜の10時頃、息を引き取ったと兄から電話。
年末で飛行機予約できず、予約取れたとしても朝まで動けない。
すぐにスーツケースに荷物を詰め2時間後に東京を出発しました。
妻は免許を持っていないので私一人で運転。
16年前の軽自動車が、長崎までの往復約3,000㎞を耐えられるのだろうか、それだけが心配。
夜中出発したので、渋滞もなく順調に広島まで来た時、SAでヒッチハイクしている男がいた。誰も止まってくれなくて困ってたので、声をかけて乗せていく事に。
山口県までという約束だったが、「すみません、話があまりに面白いので、福岡まで乗せてもらえませんか?」そう言われて福岡まで送り届けました。
父も、困っている人には手を差し伸べる人だった。喜んでくれただろう。間に合わないと思った通夜10分前に到着した。
父は3歳の時、戦争で父親を亡くし、26歳の戦争未亡人の母(私の祖母)に育てられました。
貧しくて高校にも行けませんでしたが、30代から農家後継者を育てる活動をはじめ、毎年、農業大学の研修生を3か月無償で住まわせ受け入れていました。送り出した人は、農林水産省の短期研修者も含めると約50人。自身もNZに海外研修に行った事もあります。
その時、NZの巨体酪農オヤジと相撲を取って勝った事が、飲んだ時の自慢話でした。
ジョージアに移住して、何度もトラブルにあってきましたが、奇跡的に解決したりする事が沢山ありました。
たまに父の気配がします。私の傍らで見守ってくれているようです。